翻訳と辞書
Words near each other
・ テオドシウス1世
・ テオドシウス2世
・ テオドシウス・ドブジャンスキー
・ テオドシウス朝
・ テオドシウス法典
・ テオドシウス王朝
・ テオドシオス
・ テオドシオス3世
・ テオドジオ
・ テオドジオ (ブラジル公)
テオドジオ1世 (ブラガンサ公)
・ テオドジオ・デ・ブラガンサ
・ テオドラ
・ テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)
・ テオドラ (東ローマ女帝)
・ テオドラ (歌手)
・ テオドラキス
・ テオドラコプロス
・ テオドラス・カリヨタイティス
・ テオドラス・キイェヴィシュキス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

テオドジオ1世 (ブラガンサ公) : ウィキペディア日本語版
テオドジオ1世 (ブラガンサ公)[ておどじお1せい]
テオドジオ1世Teodósio I, Duque de Bragança, 1510年 ヴィラ・ヴィソザ - 1563年9月22日 ヴィラ・ヴィソザ)は、ポルトガルの貴族、第5代ブラガンサ公
第4代公爵ジャイメ1世とその最初の妻でメディナ=シドニア公爵家出身のレオノール・デ・グスマンの間の長男。1532年に父からブラガンサ公爵家の家督を継いだ。1537年に同母妹のイザベルがポルトガル王マヌエル1世の息子ドゥアルテ王子と結婚した際、妹に婚資としてギマランイス公爵領を持たせ、ドゥアルテ王子にギマランイス公爵位を譲った。
1542年、父方の叔父レモス伯ディニスの娘イザベル(1513年 - 1558年)と最初の結婚をし、間に息子を1人もうけた。
*ジョアン1世(1543年 - 1583年) - ブラガンサ公
1559年、コインブラ公ジョルジェ(ポルトガル王ジョアン2世の庶子)の孫娘ベアトリス・デ・レンカストレ(1542年 - 1623年)と再婚し、1男1女をもうけた。
*ジャイメ(1560年 - 1578年) - アルカセル・キビールで戦死
*イザベル(1562年 - 1626年) - 1604年、初代カミーニャ公爵ミゲル・ルイス・デ・メネゼスと結婚
== 参考文献 ==

*”''Nobreza de Portugal e do Brasil''” – Vol. II, page 440/442. Published by Zairol Lda., Lisbon 1989.




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオドジオ1世 (ブラガンサ公)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.